月亭可朝さんのお別れ会と一般人の参加について

落語家の光がまた一つ消えました。
2018年3月28日。落語家・漫談家として活躍する月亭可朝さんが、兵庫県内の病院でお亡くなりになりました。

1969年にヒットした『嘆きのボイン』で知る人も多いのではないでしょうか。

今回は、「月亭可朝」さんの経歴を振り返ると共に、お別れ会の有無や一般人の参加について見ていきたいと思います。

月亭可朝さんのプロフィール

・本名: 鈴木傑(すずき・まさる)
・生年月日:1938年3月10日(享年80歳)
・出身地:神奈川県横浜市
・所属事務所:なし(フリー)

『カチョヤン』の愛称で親しまれていた、月亭可朝さん。
1958年に、3代目林家染丸に入門しました。
そのときに『林家染奴』の高座名をもらい、翌年4月に初舞台にあがりました。(大阪:千日劇場)

すぐに破門となってしまいますが、1961年に3代目桂米朝に再入門しました。このときに名前を『桂小米朝』にしています。

1967年に、後にずっと付き添うこととなる『初代月亭可朝』を襲名します。
自作の歌を漫談に使う、独特のスタイルが印象的だった月亭可朝さん。

なんと、その後に歌のレコード『嘆きのボイン』をリリースし、大ヒットを飛ばしています。

それからというもの、月亭可朝さんはすぐに、『ヤングおー!おー!』や『11PM』などの人気番組にレギュラーで抜擢されるほどの人気になりました。

当時の「スッポンメガネ」と称した、丸メガネ・チョビ髭・ブレザージャケットにカンカン帽という装いは、記憶に新しい人もいるのではないでしょうか。

私生活においては、婚約者から訴えられたり、ストーカー事件を起こしたりと、波乱万丈かつ破天荒ぶりが伺えます。

ストーカー事件を機に、一時謹慎となっていましたが、2001年には参院選に出馬しています。
惜しくも落選となってしまいましたが、当時話題になりました。

月亭可朝さんの死因は?症状はいつから?

月亭可朝さんの死因は、急性肺繊維症と診断されています。

歳をとるにつれて、身体が弱くなり、杖をつく姿が度々目撃されていました。

亡くなる直前の様子を知る人は少なく、永眠への経緯はわかっていません。

お通夜・葬儀は近親者のみで密葬で執り行われました。

破天荒なその姿は笑いをくれた

波乱万丈で破天荒な人生を歩んだ月亭可朝さん。
その憎めないキャラクターから、たくさんの人から親しまれていました。

月亭可朝さんの突然の訃報に、悲しみの声が多く見受けられました。

今も続く名番組の司会を務めていました。

とても信じられないと言った声が多く寄せられました。

天国でも漫談をしているのでしょうか。

心よりご冥福をお祈りいたします。

お別れ会の日程は?一般人は参加できる?

月亭可朝さんのお別れ会は、既に行われました。

・2018年4月24日PM1時〜
・大阪市福島区 八聖亭

落語家の桂文珍さんを始め、多くの著名人が参列しました。一般人の参加も認められ、当日は多くの献花がされました。

会場では『嘆きのボイン』が流れていました。

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