
清水信次氏(スーパー「ライフ」創業者、名誉会長)お別れの会を開催
清水信次氏のプロフィール

復員した後に大阪梅田で露天商をしながら、実家の食品卸売業 「清水商店」の事業を復活させます。昭和25年に朝鮮戦争が始まると、戦争による貿易需要の拡大をいち早く察知し上京して、当時はまだ高級品だったパイナップルやバナナの輸入業をはじめます。この成功がスーパー「ライフ」のさきがけとなり、昭和31年、清水商店を母体にした株式会社清水実業を設立します。昭和36年に「ライフ」一号店となる豊中店をオープン。パイナップルやバナナの輸入業を続けながら着実に店舗を拡大していきました。
日本の高度成長期の流れにのって、全国にスーパーマーケットが急増し、流通の合理化と組織化された小売業は国内のマーケットの中心に躍り出ました。清水氏は、平成11年7月に日本スーパーマーケット協会を設立し、協会会長に就任。スーパーマーケット業界の代表者として、業界全体の問題提起や環境改善に尽力しました。特に昭和62年、中曽根康弘内閣の売上税(消費税)導入に対して、「消費者のためにならない」と真っ向から反対して、導入を断念させたことは有名です。
亡くなる直前の令和4年5月に取締役を退任し、名誉会長に就任。創業から60年以上、ライフコーポレーションの最前線で経営に携わり、全国に約300店舗、年商7000億円を超える巨大スーパーマーケット「ライフ」を育て上げました。
「ライフ」のシンボルカラーに彩られた気品の中に明るさのある華やかな祭壇
祭壇の中央には肘をついた姿勢で、くつろいだ笑顔の清水氏の遺影が見えます。遺影の周りには真っ白な胡蝶蘭が咲き誇り、その下には白、薄緑、オレンジのカーネーションに彩られています。明るく華やかなライフコーポレーションのシンボルカラーをモチーフにしているのでしょうか。そして左端には誰もが知っているスーパー「ライフ」のロゴマークが薄緑のカーネーションで形作られています。
参列者は入口で白いカーネーションが1本ずつ手渡されます。献花台の前に来たら白いカーネーションを手向け、それぞれ静かに手を合わせます。一人一人が時間をかけて手を合わせる姿は、清水氏との最期の語らいをされていることを感じさせます。
清水氏のお別れの会には親交のあった方や取引先の方など2000人以上の方が訪れました。報道陣の数も多く、小売業の論客として名をはせた清水氏のお別れ会ならではの光景でした。
NHK「おはよう日本」でStoryが紹介されました