2018年4月5日。
数々の作品を世に送り出した『高畑勲』さんが、東京都内の病院で天国へ旅立たれました。
『パンダコパンダ』や『火垂るの墓』など、その作品を目にした人も多いことでしょう。
今回は、「高畑勲」さんの経歴を振り返ると共に、お別れ会の有無や一般人の参加について見ていきたいと思います。
2018年4月5日。
数々の作品を世に送り出した『高畑勲』さんが、東京都内の病院で天国へ旅立たれました。
『パンダコパンダ』や『火垂るの墓』など、その作品を目にした人も多いことでしょう。
今回は、「高畑勲」さんの経歴を振り返ると共に、お別れ会の有無や一般人の参加について見ていきたいと思います。
・本名: 高畑勲(たかはた・いさお)
・生年月日:1935年10月29日(享年82歳)
・出身地:三重県伊勢市
・所属事務所:畑事務所
高畑勲さんをアニメーションの世界に導くキッカケとなったのは、長編漫画映画『やぶにらみの暴君』でした。
この作品に感銘を受け、高畑勲さんはアニメーション映画を作ることを決意しました。
その後、大学を経て、高畑勲さんは東映動画に入社し、演出助手になりました。
その時の作品は『わんぱく王子の大蛇退治』。
立て続けにテレビアニメ『猿少年ケン』で演出デビューを果たしました。
そしてその熱心な仕事ぶりが認められ、入社間もなくして、長編漫画映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』で、なんと演出監督に大抜擢されたのです。
その後にAプロダクションに移籍し、今も愛される作品『ルパン三世』や『パンダコパンダ』の製作に携わりました。
『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』なども、高畑勲さんが演出を手がけた作品ですが、これらはズイヨー映像(日本アニメーション)に移籍してからの作品でした。
1985年に、今や知らない人はいないであろう『スタジオジブリ』を宮崎駿さん・鈴木敏夫さんと設立しました。
ここから高畑勲さんは次々と名作を生み出していきました。
・1988年『火垂るの墓』
・1991年『おもひでぽろぽろ』
・1994年『平成狸合戦ぽんぽこ』
・1999年『ホーホケキョ となりの山田くん』 ほか
2013年に公開された『かぐや姫の物語』が、高畑勲さん最後の作品となりました。
高畑勲さんの死因は、肺がんと診断されています。
一部では心臓病との声も見られましたが、公式で肺がんと発表されています。
高畑勲さんは、昨年の夏に体調を崩し、それから入退院を繰り返していました。
11月頃にはすっかり痩せており、体を支えてもらわないと歩けないといった状況から、病状が深刻であったとわかります。
お通夜・葬儀は近親者のみで執り行われました。
たくさんの有名作を生み出していった高畑勲さん。
『火垂るの墓』は毎年夏に放送される作品になりましたね。
突然の訃報に、多くの声が寄せられました。
高畑勲監督の平家物語、観たかったです。
どんな世界が描かれたんでしょう。海の中に沈みゆく平家の運命に新しい光が射したに違いありません。
ご冥福をお祈りします。— 栗林さみ (@sami0104) May 15, 2018
これからの作品を楽しみにしている人も多くいました。
思いを受け継ぎ、公開されることを待ちましょう。
高畑勲 先生
僕が小さな頃から、たくさんの刺激を与えてくださった先生の作品…
両親の子供の時から先生の作品は少年少女問わず、全世代から愛されてきました。
心からご冥福をお祈りいたします。
#高畑勲
#高畑勲監督追悼
#IsaoTakahata pic.twitter.com/o79gVzvY9D— ピロシキ太郎@受験生…? (@gakuranYELLOW) April 6, 2018
あらゆる世代から支持を得ていたことがわかります。
世代を超えて語り継がれるアニメーションは、なかなかありません。
高畑勲監督の作品は多くの人々の原風景となって、観る人の心を優しく変え続けてきたように思います。お目にかかったことはありませんが、僕も高畑監督に変えられた1人です。ご冥福を心からお祈りいたします。
— 新海誠 (@shinkaimakoto) April 6, 2018
大ヒット映画『君の名は。』で知られる
新海誠さん。
多くの著名人から慕われていました。
たくさんの作品を生み出し、キャラクターに命を与えた高畑勲さん。
その作品に救われた人たちの多さと言ったら、想像がつきません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
2018年4月5日PM2時〜PM5時に高畑勲さんのお別れ会が行われました。
『高畑勲 お別れの会』と称されたお別れ会は、東京都三鷹市にある『三鷹の森ジブリ美術館』で執り行われました。
一般人の参加が認められ、当日は多くの献花がされました。
NHK「おはよう日本」でStoryが紹介されました
お別れ会・偲ぶ会というと、著名人や経営者の方が行うイメージがありますが、実は最近では一般の方が行うケースも少なくありません。そんな中で「何をどのように進めたらいいのかまったく分からない…」というご相談をいただくことも増え、そのようなお客様のご要望にお応えするために、私たち「Story」はお別れ会プロデュースを行っています。
「Story」では、参加される方々にご満足いただけるお別れ会をオーダーメイドでお創りします。ご相談やお見積りは無料で行っていますので、まずはお気軽にご相談ください。
音楽とともに彼を偲ぶ一周忌
学士会館
家族、友人、会社同僚など50名
[企画] 故・坂本龍馬お別れ会
青山葬儀所(東京都港区)
龍馬ファン・メディア 100名
[プラン例] ご家族や親しい方々でのお別れ会
ホテル、レストラン、古民家、クルージング、居酒屋、シェアスペースなど
目安:20名~100名
その他の非公開事例も多くあります。お手軽なものから大々的なものまで
「こんなお別れ会できるの?」とお気軽にお問い合わせください。
Storyのお別れ会は、場所ありきで企画を決めるものではありません。
主催者の方の意見をお伺いして、企画の内容に沿った会場を探すところからお手伝いをいたします。
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故人を想う人が、故人との思い出を自由に表現する場をつくる。
それがわたしたちが考える新しいお別れのカタチ、"Story"です。
私たちは長年にわたり供養という業界から、お別れのカタチを見て考えてきました。
自分たちにふさわしいやり方で故人と向きあい、思い出を分かち合う場こそが、
わたしたちが考える新しいお別れのカタチです。
自分たちの心と故人のStoryが交わることで
故人との関係は途切れること無く継続していってほしい、
そんな思いから"Story"と名付けました。
世界で一つだけの "Story" を一緒につくりませんか?