2020年8月23日に亡くなられた元衆院副議長の渡部恒三さんを偲ぶ会が、5月22日(月)にホテルニューオータニ東京で開催されました。

渡部恒三氏のプロフィール

渡部恒三(わたなべ・こうぞう)

生年月日:1932年 5月24日(88歳)

出身地:福島県

出身校:早稲田大学第一文学部

日時:2023年5月22日(月)

場所:ホテルニューオータニ東京

渡部恒三氏は福島県南会津町出身の政治家です。祖父も父も県議会議員という政治家の家系に生まれたこともあり、早くから政治家を志します。早稲田大学第一文学部に入学後、多くの政治家の登竜門といわれる早稲田大学雄弁会に入部。雄弁会では、森喜朗氏、海部俊樹氏、小渕恵三氏、藤波孝生氏などと志を共に活動し、鳩山一郎氏が立ち上げた「友愛青年同志会」にも加わりました。
 
大学院生時代に、後に首相となる石橋湛山衆院議員の秘書となり、地元会津出身の八田貞義衆院議員の秘書を経て、弱冠26歳で1959年4月の福島県議会議員選挙に立候補、初当選を飾ります。福島県議を2期まで務め、1969年に衆議院選挙に旧福島2区から無所属で立候補。「会津のケネディ」という呼び名で話題を集めました。
 
活躍の場を国政に広げた渡部氏はその後、通産政務次官、厚生大臣、自治大臣、通商産業大臣などを歴任し、経世会では竹下派七奉行の1人と呼ばれました。
 
1993年に自民党を離党して、新生党(のちの新進党)に参加。新進党では幹事長代理、政務会長兼国会運営委員長、総務会長、副党首を歴任し、1996年に衆議院副議長に就任します。副議長在任日数2498日は衆議院創設以来最長記録です。
 
新進党が解党してからは、無所属の会で活動し、2000年に衆議院副議長に再任されます。
その後、2005年に民主党に入党。2006年2月、いわゆる堀江メール問題で野田佳彦国会対策委員長が辞任すると、後任の国対委員長に就任しました。

偲ぶ会には超党派の議員たちが集まる

渡部氏は2020年に亡くなりましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、偲ぶ会の開催は延期されていました。2022年11月に地元の会津でお別れ会を開催し、やっとこの日都内での開催が実現しました。
 
ホテルニューオータニ東京で開催された偲ぶ会には生前渡部氏と深い親交のあった多くの政治家が集まりました。発起人は立憲民主党の泉代表、前代表の枝野幸雄氏、岡田克也幹事長、野田佳彦元首相、自民党からは二階俊博元幹事長、麻生太郎副総裁など、党派をこえた13人の方々が名を連ねました。
 
冒頭、参列者全員の黙とうが行われ、渡部氏の米寿のお祝いの時に製作されたという映像が流されました。最初に「明日の日本をつくるために協力しましょう」という田中角栄氏の肉声が流れ、参列した方々の雰囲気が一気に引き締まるのを感じました。
 
約10分の映像の中には厚生大臣就任直後に「健康な時のたばこはうまい」とコメントしたシーンや「平成の水戸黄門、渡部恒三です」と笑顔で挨拶する姿が流れ、なごやかな笑い声がおきました。

野田元首相と二階元幹事長が弔辞を



映像が終わると、発起人を代表して野田佳彦元首相と二階俊博自民党元幹事長が弔辞を述べました。

 
野田佳彦氏
「早稲田の後輩であり、政治家のスタートが県会議員で同じだったご縁で、渡部先生には大変可愛がっていただきました。ユーモアたっぷりに近現代の政治を教えていただいたことが一番の財産です。私が忘れてはいけない最も大きなご恩は、2006年の偽メール問題が発生し、私が監督責任から国対委員長を辞めた後、そのあとのだれもやりたくない火中の栗を拾っていただいたことです。沈滞ムードのどん底にあった民主党の救世主になっていただき、テレビで涙を流しながら謝罪していただきました。私はこのご恩を一生忘れてはならないと思っています。この恩返しを十分に果たせないままお別れになったことが痛恨の極みです。渡部先生の悲願であった二大政党制を実現するために残りの政治人生を尽くしていくことを先生に誓います。」
 
二階俊博氏
「昭和58年に初当選したときから、この場では語りつくせないほど渡部先生にはお世話になりました。最後にお会いしたのはお亡くなりになる半年前、会津に見舞いに行ったときです。先生は体調が悪い中、わざわざ起き上がり温かくむかえてくださいました。今思うと後輩の私に心配をかけたくないと思われたのでしょう。渡部先生は『一度会ったら自分のほうからは離れない、相手から離れるのは仕方ない』という人生哲学をお持ちでした。道は違っても一生のお付き合いをするという先生の想い。それを私も大切にしていくことを心に誓い、先生のご冥福をお祈りいたします。」

ご親族からの感謝の言葉と参列者から献花


続いて渡部恒三氏の甥であり、元福島県知事の佐藤雄平氏と長男の渡部恒雄氏が挨拶しました。
 
佐藤雄平氏
「病床に見舞いに行くと、私は本当に幸せだったと繰り返し言っていました。政治家としても、1人の人生としてもまったく悔いもない、幸せな人生だったと。地元に戻って鶴ヶ城を散歩していたら、修学旅行の生徒がいっぱいいて、渡部を見つけると「黄門様だ」「写真を撮ってください」といわれて大人気だったそうです。本当に政治家で良かったと涙ながらに喜んでいました。今日も超党派でたくさんの方にお集まりいただき、あらためて幸せな人生だったと思います。」
 
渡部恒雄氏
「みなさま本日はありがとうございました。一度つながった人とは一生離れないという信条のもと、人に恵まれた、幸せな政治家生活だったのだと思います。本日も党派を超えて、人間関係のなかでお集まりいただいたことは大変珍しく幸せなことです。これはみなさまが党の垣根をこえて、国に対する深い想いをお持ちだからだと思います。家族を代表してお礼申し上げます。本人もきっとどこかで見て喜んでいるはずです。」
 
最後に参列者一人一人が白いカーネーションの献花を行いました。小泉純一郎氏、森喜朗氏など歴代の首相がそれぞれ遺影にむかって一礼し、故人と語らうように長い時間をかけてお別れを惜しむ姿が印象的でした。


「平成の黄門様」にふさわしい会

東日本大震災の後の国会答弁で、故郷の福島を思って「地域の人たちは東電に協力したわけではない、国策だから国のために協力してきた方々です。その方がどんな生活をしているか、どんな悲しい日々をおくっているか」と涙ながらに訴えた渡部氏。
 
政治信条には厳しく、実行力、決断力に優れた政治家でありながら、朴訥とした会津訛りの口調、人情にあつく、ユーモアセンス、サービス精神を忘れない渡部氏の人柄が伝わってきました。まさに「平成の黄門様」の最期にふさわしい偲ぶ会になりました。




※※本会につきましては弊社『Story』の施行ではなく、当日会場にて取材をさせていただき作成した記事になります。※※

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