2024年7月12日に88歳で亡くなった小原乃梨子さんのお別れの会が、2024年10月30日に東京都新宿区の日本青年館ホテル 「バンケットルーム」で開催されました。

 

小原乃梨子(おはら・のりこ) 

本名:戸部法子(とべ・のりこ)

生年月日:1935年10月2日(満88歳)

出身地:東京府東京市豊島区池袋(現・東京都豊島区池袋)

出身校: 跡見学園高等学校

日時:2024年10月30日(水)

場所:日本青年館ホテル 9階「バンケットルーム」(東京都新宿区霞ヶ丘町4−1)

発起人代表: 戸部敦夫(故人の子息。アニメーター/キャラクターデザイナー/メカニックデザイナー)

小原乃梨子氏のプロフィール

小原乃梨子氏は、1935年10月2日、東京府東京市豊島区池袋(現・東京都豊島区池袋)に生まれました。小学5年生の時に児童劇団「虹の橋」に入団し、子役としてNHKの子供番組などに出演しました。


小学校卒業後に芸能活動を休止しましたが、高校時代は演劇部に熱中し、女優を志望するようになりました。


高校卒業後にはプロダクションに所属し、開局当時の民放テレビのドラマやCM、ラジオなどに出演しました。初の声優レギュラー出演はアメリカのテレビドラマで、ブリジット・バルドー、シャーリー・マクレーン、ジェーン・フォンダなど、数多くの名女優の日本語吹き替えを演じました。


1960年代半ばからはテレビアニメにも活躍の場を広げ、国民的アニメ『ドラえもん』では野比のび太役(1979年~2005年)を26年間担当しました。『未来少年コナン』コナン役、
『ヤッターマン』ドロンジョ役、『アルプスの少女ハイジ』ペーター役など、少年から大人の女性まで幅広い役を演じ、長きに渡ってお茶の間に親しまれてきました。


晩年は講演活動や朗読の活動を精力的に行い、朗読指導や読み聞かせの研究を行なうほか、カルチャースクールや後進の育成にも努めていました。

 

バラを中心に赤やピンクで彩られた華やかな祭壇

 

祭壇の中心には優しく微笑む小原乃梨子氏の遺影が飾られ、大好きだったというバラがたっぷりと使われています。濃いローズピンクの華やかなバラが遺影の周りを飾り、さらにその周りには、ほんのりピンク色のバラ、白いバラやかすみそうなど2500本の花々が見事です。艶やかな気品をまとった小原氏らしさあふれる祭壇でした。


小原氏の遺影を囲むように、祭壇に向かって左側には『未来少年コナン』コナン、『ドラえもん』野比のび太、右側には『ヤッターマン』ドロンジョのパネルが置かれています。

 

小原氏の功績や人柄が偲ばれるお別れの会

お別れ会の司会を務めたのは、小原氏と同じ81プロデュースに所属する石川光太郎氏でした。まず最初に祭壇の両サイドに置かれたモニターを見ながら、小原氏の功績を振り返りました。妖艶な女性から元気一杯の少年まで見事に演じ分けていたことや代表作の多さを改めて実感しました。


発起人代表でもあり小原乃梨子氏の長男でもある戸部敦夫氏は「母親としての戸部法子はそれ以上でもそれ以下でもない存在ですが、声優の小原乃梨子としては私よりも仕事仲間や色々な作品を受け取っていただいた皆様の方が、母に心近いものがあるのではないかと思っています」と感謝を述べました。


続いて挨拶に立った日本アニメーション代表取締役社長の石川和子氏は、現場での真摯な役作りや明るく優しい人柄で現場を盛り立ててくれたことをあげ、「一緒に仕事ができたことはかけがえのない宝物でした。きっと雲の上でアニメ業界を見守り、応援してくれていると思っています」と話しました。


81プロデュース代表取締役社長の南沢道義氏は、「先日、長年の盟友であった大山のぶ代さんの訃報が届き、ドラえもんとのび太はどこまでも仲良しで 一緒なのだと思いました。今年はたくさんの声優仲間たちが星となりました。綺麗に輝くその星たちに声優業界を照らし続けてほしい。一番新しい星となられた小原乃梨子さんに対する最後のお願いであります」と続けました。


献花に使われたのは、祭壇のバラにもよく合う濃淡のローズピンクや白のカーネーション。弦楽器による「ドラえもんのうた」「ヤッターマンの歌」などが生演奏される中、献花が行われました。

 

声優仲間が語る小原氏の思い出

※左からかかず氏、水田氏、水島氏、野村氏、羽佐間氏


お別れ会の後、声優の羽佐間道夫氏、野村道子氏、水島裕氏、水田わさび氏、かかずゆみ氏による囲み取材が行われました。


羽佐間氏は「洋画の吹替では、画面ではなくお互いを見つめあって演技をしたことがとても印象に残っています」と別れを惜しみました。


野村氏は「『ドラえもん』で一緒だった26年間、先日亡くなった大山さんも一緒に3人で本当によく遊びました。5人組だったのに私だけ残っちゃった。残りの時間を一生懸命楽しもうかな」と涙を浮かべました。


水島氏は「『オタスケマン』というシリーズで1年間ご一緒させていただき、八奈見(乗児)さん、たてかべ(和也)さん、ノンコさんともお別れになってしまいました。僕の呼び方にも個性があって、ノンコさんは『裕くん』と優しいタッチで呼んでくれました。本当にお世話になりました。ありがとうございました」とお礼を述べました。


水田氏は「新人時代に『ドラえもん』に何度も出演させていただいたのですが、発声方法や正しい日本語の訛りなどを指導していただきました。今自分がドラえもんを演じていてそんな余裕がないので、なんて後輩思いな先輩だったんだろうと気づきました」と思いを語りました。


かかず氏は「共演はありませんでしたが、小原さんが演じてきたキャラクターが大好きで育ちました。小原さんのように皆様の心に残るよう頑張っていきたいです」と語りました。

 

350人以上の関係者とファンが別れを惜しむ

小原さんのお別れ会には一般の方を対象とした会には約100人のファンが、関係者向けのお別れ会には約250人が集まりました。皆さん口を揃えて「小原氏がスタジオに入ってくるとパッと花が咲いたようだった」「とにかくエレガントな方だった」と話し、その功績やお人柄を惜しみながらも明るい雰囲気だったのがとても印象的でした。

 



※※本会につきましては弊社『Story』の施行ではなく、当日会場にて取材をさせていただき作成した記事になります。※※

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