元早稲田大学総長 奥島孝康氏お別れの会

2024年5月1日に85歳で亡くなった奥島孝康さんのお別れの会が、2024年7月31日に東京都新宿区の早大大隈記念講堂で開催されました。

 

名前:奥島孝康(おくしま・たかやす)

生年月日:1939年4月16日(満85歳)

出身地:愛媛県北宇和郡日吉村(現・鬼北町)

出身校: 早稲田大学

日時:2024年7月31日(水)

場所:早大大隈記念講堂(東京都東京都新宿区戸塚町1-104)

主催︓早稲田大学

奥島孝康氏のプロフィール

奥島孝康氏は、1939年4月16日に愛媛県北宇和郡日吉村(現・鬼北町)で生まれました。 愛媛県立宇和島東高等学校、 早稲田大学法学部を卒業し、その後早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了、博士課程単位を取得しました。


1965年に早稲田大学卒業後に法学部助手となって以降、長きにわたり教育、研究、 後身の育成、学術の進展及び高等教育の発展に尽力しました。


早稲田大学では法学部長や図書館長など数々の要職を歴任し、1994年には第14代総長に選出されました。2002年までの2期8年の在任中には様々な改革を実行し、早稲田大学の発展に多大に貢献しました。


大学以外の場でも、内閣府司法制度改革推進本部顧問、 社団法人日本私立大学連盟会長、法科大学院協会理事長など数多くの要職を務めました。


 早稲田大学退職後も、交易財団法人日本高等学校野球連盟最高顧問、公益財団法人ボーイスカウト日本連盟総長などの役職を精力的に活動されました。

 

真っ白なバラやカーネーションで飾られた祭壇

 

祭壇の上には、アカデミックドレス姿で微笑みを浮かべる奥島孝康氏の写真が飾られていました。祭壇の花はバラやカーネーション、ラナンキュラスなどが組み合わされていて、真っ白で統一されていました。


美しく開いている花もあれば、これから咲き誇る開きかけの花などもあり、様々な人が集まる「多様性」に富んだ早稲田大学らしさが感じられました。

 

祭壇の左手には従三位の位記が、右手には2023年に受章した瑞宝大綬章の勲章と章記が置かれていました。


祭壇の周りにはグリーンも使った4つのスタンド花が添えられています。祭壇と同じ白を基調としながら百合やピンポンマムなど異なる花を使うことで、1階と2階のどちらから見ても品格がありながら、壇上にさみしさを感じさせない演出でした。

奥島氏の功績と人柄が偲ばれる追悼の言葉

追悼の辞は早稲田大学総長・田中愛治氏から始まり、奥島氏のこれまでの多大なる功績をあげ、「奥島先生の改革者魂が切りひらいた道が、今日の早稲田大学を作り上げた」と感謝を述べました。


学校法人同志社総長・理事長で前日本高等学校野球連盟会長の八田英二氏は、日本高等学校野球連盟会長時代の話をあげ「『高校野球は教育の一環』という固い信念のもと問題解決に奮闘し、次から次への高校野球改革お疲れさまでした」と語りました。


バトンを引き継いだ自身の会長時代を振り返り、「奥島氏の強い力添えがありタイブレーク制の導入や、球数制限など改革路線を進めることができた」と感謝の言葉を送りました。


早稲田大学前総長・鎌田薫氏は、奥島氏に研究者としての心構えを教授された1973年の話をあげ、「重要な文献は将来の研究者のために、必ず図書館にも入れるように指示されました。『若い研究者を育てることと教育研究環境を充実させることが早稲田大学を発展させる不可欠な前提になる』という信念はすでに当時から確立していたと感慨深く思い起こしています」と述べました。


早稲田大学名誉教授の加藤哲夫氏は奥島氏の座右の銘を紹介し「大学西門にある「源兵衛」には頭を低くし志を高くせよという自筆の『低頭高志』が掲額されています。また「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と語っていました。まさにお人柄そのものであったと思います」と弔辞を送りました。

 

司会はテレビ朝日アナウンサーの下平さやか氏が担当しました。


下平氏は、1995年に早稲田大学法学部を卒業し、「奥島ゼミナール」24期生でもあります。司会の際には、時折涙をこらえる場面も見られました。

最後は「紺碧の空」と早稲田校歌を全員で合唱

弔電の紹介や遺族の挨拶が終わると、最後には参列者全員が祭壇に向かって「紺碧の空」と「早稲田大学校歌」を捧げました。


早稲田大学応援部の指揮、早稲田大学交響楽団の演奏、そして早稲田大学グリークラブの歌声に合わせ、奥島氏の生前の人柄を偲ぶように、力強くも心温まる斉唱が大隈記念講堂に響き渡りました。

著書やゆかりの品々を

カーネーションによる献花を終えた方々は、ゆかりの品々が並ぶリーガロイヤルホテルロイヤルホールへ移動します。奥島氏の数多くの著書などをはじめ、弔辞でも紹介された『低頭高志』の額や大好きな芋焼酎など、奥島氏を偲んで懐かしい思い出話に包まれました。


奥島氏のお別れの会には大学関係者の方や親交のあった方など約1100人の方が訪れました。日本の高等教育や学生スポーツの発展に多大に貢献し、奥島氏の人柄はもちろん早稲田大学への愛が伝わるお別れ会でした。

 

 



※※本会につきましては弊社『Story』の施行ではなく、当日会場にて取材をさせていただき作成した記事になります。※※

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