「稲盛和夫氏(京セラ株式会社創業者・名誉会長)お別れの会」開催
2022年8月24日に90歳で亡くなった稲盛和夫氏(京セラ株式会社創業者・名誉会長、KDDI株式会社最高顧問、日本航空株式会社名誉顧問、公益財団法人稲盛財団創立者)のお別れの会が、11月28日に国立京都国際会館、12月6日に帝国ホテル東京で開催されました。
稲盛和夫氏のプロフィール
稲盛和夫(いなもり・かずお)
生年月日:1932年1月30日(満90歳)
出身地:鹿児島県
出身校:鹿児島大学工学部
【お別れの会 京都会場】日時:2022年11月28日(月)場所:国立京都国際会館
(京都府京都市左京区岩倉大鷺町422)
【お別れの会 東京会場】
日時:2022年12月6日(火)
場所:帝国ホテル 東京
(東京都千代田区内幸町1丁目1−1)
写真提供:京セラ株式会社
稲盛和夫氏は鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島大学工学部を卒業後、京都の碍子メーカーである松風工業に就職し、その後、1959年に京都セラミック株式会社(現:京セラ)を設立しました。1966年に代表取締役社長に就任し、代表取締役会長を経て、1997年から取締役名誉会長(2005年からは名誉会長)を務めました。
通信事業自由化が決定した1984年には、民間初となる第二電電企画株式会社(後の第二電電、DDI)を設立しました。2000年10月にはKDD、IDOの合併によりKDDI株式会社を設立し取締役名誉会長に就任、2001年6月より最高顧問となりました。
また、2010年2月には、政府の要請を受け、会社更生法を申請して経営再建中だった日本航空の代表取締役会長に就任しました。稲盛氏の尽力により、赤字続きだった日本航空は、翌期には大きく業績を改善し、2012年9月には、わずか2年8カ月という短い期間で再上場を果たしました。
国内56塾、海外48塾にもなる14,938人の経営者が集まる経営塾「盛和塾」を1983年に開き、解散となる2019年まで多くの経営者の育成に力を注ぎました。1984年には財団法人(現在は、公益財団法人)稲盛財団と国際賞「京都賞」を創設し、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を毎年表彰するなど、学術や文化、教育への支援活動も盛んに行っていました。
白いカーネーションを手向け最期のひとときを
提供:京セラ株式会社
(※写真は、京セラ株式会社から提供された京都会場の写真ですが、以下の記事は、東京会
場についてのレポートです)
お別れの会が始まる前にはすでに大勢の方々が訪れ、会場に入る方やクロークにコートや荷物を預けるための列ができていました。入口で白いカーネーションが1人1本ずつ手渡され、12名ほどの横並びの列が作られます。前の列の方の献花が終わったら1列ずつ前に進み、献花台の前に来たら白いカーネーションを手向けそれぞれが静かに手を合わせました。
祭壇には白をベースに紫や淡いピンクの花々が飾られ、その中央には2008年に旅行先のエジプトで撮影されたやわらかな笑顔の稲盛氏の遺影が飾られていました。
稲盛氏のフィロソフィを結集したメモリアル会場
提供:京セラ株式会社
献花を終えると、隣のメモリアル会場へ進みます。メモリアル会場入口には、京セラの社是であり稲盛氏の座右の銘ともされる「敬天愛人」の書が掲げられていました。
メモリアル会場には稲盛氏の言葉やこれまでの軌跡がパネルで展示されていました。さながら稲盛ライブラリーを思わせる展示の数々に多くの方が足を止め、1枚1枚に書かれた言葉をじっくりと眺めたりメモを取っている方の姿を見ることができました。
会場の出口には、笑顔の写真とともに2014年8月に行われた関西鹿児島県人会総連合経営懇話会の講演での「幸せな人生だった」という言葉が、パネルになって飾られていました。稲盛氏の数々の功績やフィロソフィと呼ばれる経営哲学、そして人生哲学や人として大切にすべき人生の真理に受けた感銘は、これからの経営者のみならず多くの人々に受け継がれていくでしょう。
提供:京セラ株式会社
NHK「おはよう日本」でStoryが紹介されました