燃える男が燃え尽きた。
2018年1月4日に、野球界のレジェンド星野仙一さんが天国へ旅立たれました。
選手時代から多くの人に感動を与えてきた、星野仙一さん。
最後まで諦めることなく、闘病を続けたその雄姿を忘れることはないでしょう。
今回は、「星野仙一」さんの経歴を振り返ると共に、先日行われたお別れ会について見ていきたいと思います。
燃える男が燃え尽きた。
2018年1月4日に、野球界のレジェンド星野仙一さんが天国へ旅立たれました。
選手時代から多くの人に感動を与えてきた、星野仙一さん。
最後まで諦めることなく、闘病を続けたその雄姿を忘れることはないでしょう。
今回は、「星野仙一」さんの経歴を振り返ると共に、先日行われたお別れ会について見ていきたいと思います。
中日ドラゴンズのエースとして活躍、引退後もドラゴンズ、タイガース、イーグルスで監督を歴任、ドラゴンズで2度のリーグ優勝へ導いた星野仙一氏が1月4日に逝去されたと楽天球団が発表しました。熱く、野球に情熱を捧げた星野仙一氏へ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。https://t.co/UmtLdTBFQh pic.twitter.com/R7AtOrUGom
— 中日ドラゴンズ公式 (@DragonsOfficial) January 6, 2018
・本名: 星野仙一(ほしの・せんいち)
・生年月日:1947年1月22日(享年70歳)
・血液型:O型
・出身地:岡山県倉敷市
・出身校:明治大学
倉敷商高を卒業したのちに明治大学へ入学。
1969年に、ドラフト1位で中日ドラゴンズへ入団しました。
当時のポジションは投手。
入団1年目にして、49試合中8回の勝利を収めました。
星野仙一さんの活躍は超人的なもので、1982年までの成績は、通算146勝。
1973年からの5年は、2ケタ勝利を連続で達成するなど、素晴らしいものでした。
そしてその活躍は、多くの国民に感動と勇気を与え、1974年に『沢村賞』を受賞しました。
その後、中日・阪神の監督を務め、それぞれをリーグ優勝へと導いています。
楽天の監督を務めている時に、腰の病気を患いますが、手術をして復帰しています。
結局退任してしまいますが、球団のことを思っての退任だったのでしょう。
【監督歴】
・中日ドラゴンズ(1981〜1982年)
(1987〜1991年)(1996〜2001年)
・阪神タイガース(2002〜2003年)
・東北楽天ゴールデンイーグルス(2011〜2014年)
2017年には「野球殿堂入り」を果たし、野球界のレジェンドとして、確固たる地位を築き上げました。
星野仙一さんの死因は、膵臓がんと診断されています。
星野仙一さんは2016年7月に膵臓がんが判明しました。その後も変わらずに仕事を続け、度々その姿を見ることができていましたが、年末に近づくにつれて、だんだん病状が悪化し、がんの転移もあったとのこと。
がんが転移しても、モルヒネ投与を拒否したという星野仙一さん。
その後、家族に看取られながら静かに息を引き取りました。
葬儀・告別式は、近親者のみの密葬で営まれました。
その活躍から、大勢の人の目にとまり、幾度となく勇気と感動を与えてきた星野仙一さん。
突然の訃報に、悲しみの声が多く寄せられました。
https://t.co/rBVMGT4KXN
星野仙一さん死去。大阪出身なので、なんといっても一番印象に残っているのは2003年の阪神優勝です。写真は、昨年7月の野球殿堂入りの表彰。ナゴヤドームということもあり、殿堂入りした3人の中で一番の大歓声を浴びていました。ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/d0OXEnZ6hF— 西畑志朗 Shiro Nishihata (@NSHT_46) January 6, 2018
朝日新聞でカメラマンを務める西畑志朗さん。
カメラマンとしての思い出があるんですね。
星野さんのカードといえば、
こんなのもありましたねぇ。
結構レアかも?!星野仙一さんの突然の訃報に接し、
今でも信じられません。
ショックです…。
心からご冥福をお祈りします。#名鉄 #星野仙一 pic.twitter.com/8DLsvG1RxN— 土日旅人(どにちたびと) (@PKumamon) January 6, 2018
こんな物もあったんですね。
意外なところで星野仙一さんを見かけることができたということがわかります。
熱い男 ? 熱い⚾人 ✨
「星野仙一さん」が亡くなられました…?
慎んで、ご冥福をお祈りいたします…
m(__)m pic.twitter.com/L7CfZfF84s
— 酔っすぃ〰️☆山王會 (@yotusuii715) January 6, 2018
星野仙一さんの若い頃の写真でしょうか。
昔から愛されていたことがわかりますね。
燃える男の訃報は、多くの人に衝撃を与えました。
たくさんの分野の人たちから慕われていたことがよくわかりますね。
星野仙一さんのご冥福をお祈りいたします。
・2018年3月19日
東京都港区グランドプリンスホテル新高輪
国際館パミール3階大会場「崑崙(こんろん)」
・2018年3月28日
大阪府大阪市北区ハービスホール
この2ヶ所で星野仙一さんのお別れ会が行われました。
お別れ会には一般人の参加も認められ、一般献花も可能。また、追悼サイトも開設され、多くの追悼メッセージが寄せられました。
NHK「おはよう日本」でStoryが紹介されました
お別れ会・偲ぶ会というと、著名人や経営者の方が行うイメージがありますが、実は最近では一般の方が行うケースも少なくありません。そんな中で「何をどのように進めたらいいのかまったく分からない…」というご相談をいただくことも増え、そのようなお客様のご要望にお応えするために、私たち「Story」はお別れ会プロデュースを行っています。
「Story」では、参加される方々にご満足いただけるお別れ会をオーダーメイドでお創りします。ご相談やお見積りは無料で行っていますので、まずはお気軽にご相談ください。
時代の先駆者~AIと演武でお別れ会~
貸しスペース(東京都内)
取引先、事務所職員、ペッパー君 120名
皆様で手作りされた税理士事務所代表のお別れ会
[プラン例] 社葬、著名人のお別れ会
ホテル、有名寺院・会館、競技場、記念館、野外施設、フェスティバル会場など
目安:200名以上
その他の非公開事例も多くあります。お手軽なものから大々的なものまで
「こんなお別れ会できるの?」とお気軽にお問い合わせください。
Storyのお別れ会は、場所ありきで企画を決めるものではありません。
主催者の方の意見をお伺いして、企画の内容に沿った会場を探すところからお手伝いをいたします。
2024年5月1日に85歳で亡くなった奥島孝康さんのお別れの会が、2024年7月31日に東京都新宿区の早大大隈記念講堂で開催されました。 名前:奥島孝康(おくしま・たかやす) 生年月日:1...
2024年3月4日に63歳で亡くなったTARAKOさんの「TARAちゃん ありがとうの会~たいせつなきみへ~」が6月15日、東京都江東区有明にあるTFT ホール 1000で開催されました。 ...
2023年12月30日に73歳で亡くなった熊本県八代市出身の歌手、八代亜紀さんの『八代亜紀 お別れの会〜ありがとう・・・これからも〜』が26日、東京都大田区の片柳アリーナで開催されました。 ...
故人を想う人が、故人との思い出を自由に表現する場をつくる。
それがわたしたちが考える新しいお別れのカタチ、"Story"です。
私たちは長年にわたり供養という業界から、お別れのカタチを見て考えてきました。
自分たちにふさわしいやり方で故人と向きあい、思い出を分かち合う場こそが、
わたしたちが考える新しいお別れのカタチです。
自分たちの心と故人のStoryが交わることで
故人との関係は途切れること無く継続していってほしい、
そんな思いから"Story"と名付けました。
世界で一つだけの "Story" を一緒につくりませんか?